「クルマはパワー(600ps)でもタイヤ(295)でもない...全幅だ!!」
という事実に気づいてしまった事で、私は友人を頼り
「目指せ2m!」{FSW(ピットロード)スーパーカー(全幅)対決}計画。
ロングアーム新造に着手したのが全てのスタートです。
外に出すには出せそうだけど、今度はその出ちゃったのをどうしまうか問題。
飛び出すタイヤをどう隠すか。個人的全力で考えた渾身の設計図↓
書いた数日後に運悪く?ご来店したカーデザイナー(のちのデザイン総監督松本)さんに「ちょいと見てくれませんか?」と渡したらしばらく無言。暫し眺めた後に優しく「何をしたいのかが明確に伝わる良い絵ですね」
ホントは絵じゃくて設計図。これを見ながら最後まで進めるんですけどね。。。
「。。。時間あるときにお手伝いしましょうか?」
と言ってくださり強力な味方をゲットしたのでした。
多分沈黙は何か褒めるところを探してくれてたんだと思います笑
「書いたとしてどうやって作るんですか?」の問いに迷うくとなく「段ボールとスタイロホーム」と答えると↓
その月末に松本さんが「この人作れます」と突然連れてきたのが「世界三大がっかりの佐野です」と自己紹介するSANO DESIGN(現S DESIGN)佐野さんでした。佐野さんも聞いてなかったみたいで、突然草加の中古車屋でデルタを作れる人というキャラクター決定に驚いている様子。
このあと皆で焼肉を食べに行き、なんとなく以降の成り行きが始まったような気がします。
因みにこの段階ではオートサロンのオの字もありません。ただ飛び出たタイヤをちょっとカッコよくしまいたいだけ。
最初は協力者が友人1人(のちの設計班長)と鼻の穴広げて楽しんでただけだったので、彼は私の懐を案じて国産部品流用などで低単価なワイドトレッドを目指していました。手作りの木製モックアップでクリアランス確認など流用に向け確認し、モックアップにアップライトつけて拡幅量を目視確認してキャッキャしておりました。
S DESIGNに搬出前に暫定で出幅を共有すべく、ダミーホイールで予想トレッドにしてみた写真が
ヨーロッパ全言語でグーグル翻訳上、どれも要約すると「汚い」とメッセージを頂戴することに。
搬入直前に佐野さんが出展してると聞き
私自身は初めてのオートサロンへ。
この時、
初めて佐野さんの作品を見たというか、
本当に作れる人なんだと知りました。
っていうか
最優秀賞獲ってて「逆に何者?」感が凄かった笑
2mだと積車に乗せられないので、厳密には1960。
富山搬入。産まれて初めて積車ドリフトを経験。
帰路はTHEプロフェッショナル「日本郵政」トラックの後ろを小判鮫。
日本の物流の強さに心から賛辞を送りながらくっつかせていただきました。
極力オリジナルのプロポーションを崩さず自然な姿でしたが、
この出幅イメージではタイヤが収まり切らないことが判明。
もぅ「やっちゃえ松本サン!」的な無責任さで煽ってた記憶があります。
松本さんが加速。
素人ながらに造形経験あるので「佐野さんどうやって作るんだろ?」と無責任に思ってました。
がやはり。佐野さんが少し考えてから話すようになりました。
各色から検討していました。
個人的には白いデルタに1度乗ってみたかった。
こうなってくると「佐野さん頑張れ」と電信柱の陰から応援。
赤パールクリアーを何度吹く色味が良いかサンプルの色板を準備し色合わせ
拡幅量を認識するに十二分。なんか想像より大事だな。と思い始める。
注意しないと何について語ってるのか忘れてしまう幅。
ここでの個人的な心配事は私の脚の長さでロールバーの奥まで跨げるか否か。
素人(私)って着地点のイメージ共有が結局形になるまで出来ないんですよね。
こうして囲われるまでオオゴトさに気づけないというか。
「あれ?これヤバくないですか?めちゃ押し出し強くない?」
削り物などの製造を一括依頼したマエカワエンジニアリングさんに設計班から預かった3Dデータをお送りした返信が
「正気ですか?」
アップライトとの接合部(通称:猫手)を「一身に受け止めるいじらしい奴です」と細い目をする設計班。
この段階では低単価国産部品流用を目指してた名残り
レースの都度交換してきたベアリング耐久性が10倍(期待値込み)
松本さんのデザインテープ(細いプロポーションラインを表すテープ)が引き出される音だけが響き渡るS DESIGN
オートサロンという会話は出ておらず。
まだ和やかだった最後の佐野(富山)詣でだったかな。
その1ヶ月後くらいに↓
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「オートサロンの佐野枠あるんですが、今年は出品車なくって...デルタ借りてもいいですか?」
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制作班全員が「そんなスケールになるって聞いてない」ので一旦落ち着いて全員で見に富山行こっか。と
足回り設計班とデザインチーム全員で富山修学旅行へ。
設計班は造形の現場は初めて。そして自分の仕事とは直接関係しない見込みなので非常に楽しそうに過ごす最中。
←ほぼ無言でテレパシー送り合う松本さんと佐野さん。
通じてるが故の遮断みたいなのも楽しく拝見しておりました笑
ほぼテレパシー。通じてる。通じてないフリもしてる。
足回り設計班&デザイン制作班の初めての合同「酒」ミーティング。
酔っ払いらしく遠慮のない大胆で無責任なアイデアが加速します。
翌朝、皆で能登島水族館のイルカに餌をあげに行きました。
落ち着いてオートサロンを目指すことになりました。
この頃から極端に佐野さんの口数が減る。
遊び。楽しみで協力してくれてる足回り設計班もボディ班に負けるわけにはいかぬ。
とムキになってきたミーティング。
そこに早稲田フォーミュラプロジェクトのメンバーも加わり、金銭的制限のない学生らしい青天井協力が始まりました。
マスター(発泡材による造形)から製品型作りへ。
デルタの座標を示す設計図がないので基本は型紙。
「設計班のいじめですか?」という返信がマエカワさんから増え始めるきっかけ。
と言いつつ、最後まで「抜ける」とは言わないマエカワエンジニアリングさん渾身のアウトプット
S DESIGN出荷直前の「完成しました。出荷準備できました」想像と違った画像
この時私は長期出張中でしたので、これを受け取るであろう地球の裏側のハタジスタッフに画像報告は伏せました。
オートサロン3週間前に地球の裏側なのに全チャンネルから「ヤバイ」とメッセージが鳴り止まず。
つまりFENICE105の「素材」が草加に着弾。
リアガラスからニョキんと生えるリアスポのステー作り。
モノコックに頼らない、ほぼほぼパイプフレームの概念でリアスポイラーをマウント準備
もぅ「正気ですか?」とか「いじめですか?」とも言わず、マシーンの様にアウトプットしてくれるマエカワエンジニアリング
この搬入から最終仕上げを任された弊社板金屋さん「KURUMADOO」さんは3週間家にほとんど帰れませんでした。。。
KURUMADOOさん的には松本デザイン総監督の細やかな指示の方が全体像が見えてワクワクすると言ってた序盤。
この段階でもプロポーションチェックは連日続き、
シャンプーが泡立たないっすwとランナーズハイに→
MOTC C1212フル液晶メーター
往年のWRCデルタのメーターデザインを踏襲し、デジタル要素を付加してくれました。
内装はハタジスタッフ側による手作り。
なのにどうやって作ったか今は全く覚えてません。
ハタジロゴは私!!私が作りました!!
ビギナーズラックで妙に上手くできた浮きロゴ
Fenice105 C1212 メーター表示切り替えスイッチ。
AVO/MOTEC JAPANさん協力でC1212メーターのキャリブレーション
100人乗ったら多分ダメ
FENICEは色として吹いてるのはシルバーで
赤く見えるのはクリアーに含ませたパールです。
そのクリアーを何回塗るかで赤味を調整しています。
オートサロン初参加たるもの静かに搬入搬出が鉄則。
そのために欠かせない牽引するフックがないことに気付き
土壇場でデフガードに牽引フックを増設。
静かに搬入搬出するために欠かせない
積車に牽引するフックがないことに気付き
土壇場でデフガードに牽引フックを増設。
パッと見わからない。でも気づいたらハタノにしか読めなくなるロゴデザインに決定。
自ら設計した部品を神妙に組み付け確認する設計班長
なんとしてもこの段階で組み付けて転がす必要あり。
塗り終えた車体はその足でマフラー屋さんへ搬入。
前後デフでどうしてもで人力では押しきれないだろうから
搬入搬出では静かにエンジン掛けたく。
可能な限り静かにして欲しかったのですが
オートサロン会場搬入で初めてエンジン掛けたら我々も失神するほど爆音。排圧高すぎてバルブ閉まらなかった笑(現在は大きいサイレンサーに変更しました)
制作班全員で共有したスケジュール(これが全てです)
制作班全員で共有したTo Doリスト(これが全てです)
新年初日(つまりオートサロン6日前)の特設野戦会場。
私だけ事務所でヌクヌク動画編集してるの悪くって野戦会場にパソコン引っ越してみたら極寒。震えながら編集しました
↑編集した動画「Lancia Delta FENICE105になるまでの活動」誰も最初から最後まで見る事はないだろうダッシュ中央のサイドカメラ用モニターでオートサロン会期中流してましたが、C1212フル液晶メーターに人気を奪われ、予定通り誰も見てくれませんでした。
なんとこのタイミングで発売直後&大人気で入手は不可能だろうと思割れたレカロシートがロッソカーズ社長より着弾m(__)m
KURUMADOOさんのアウトプット待ちできないので、こちらから人員送る様に。
私も投入。考えてみたらどの作業もやったことあるし、もっと早く手伝いにくればよかったと猛省。
この後、パネルボンドの偉大さを知る。
フロントサスペンションの暫定セット一式が揃いゴールドスーク顔負けのオレンジ。
ディフューザー本体と縦フィンのアール違いを修正するために産まれてきたと言っても過言ではない携行缶にしばし感動。
カーボンルーフもパネルボンドで接着。もはや瞬殺作業。
ずっと穴が開いたまま車外と車内が曖昧だった私のデルタに憧れのフタ。境界が明確に。
友人に販売集った制作班Tシャツが予想外の200枚超えのオーダー
同業者の方々にまで協力打診して全数&全サイズ揃えてくださいましたm(__)m
走行時に躍動感を演出するためにと松本デザイン総監督の依頼で2色に塗り分け
グラフィック並びに協賛各社のステッカーが着弾。
グラフィックご協力いただきました親子2世代の共同作業
マエカワエンジニアリングさんが最後まで嫌がったビレットグリル。正月三が日を費やしたCADデータで加工始めた1/4にグリルとドリルが喰って廃棄で耳から血が出そうな断裂魔。
グリルエンブレムも削りとレーザーで表現してくれました。
グリルをつける=作業が終わりに近づいてる。神妙ターン。
搬出日当日の朝5:45の風景。
弊社の磨き屋さん。全部まとめて磨いてくれたらと言うも、結局1週間ほとんど張り付いて見守ってくれ、KURUMADOOさんからあがる都度磨いてくれました。
とある早朝。KURUMADOOさんからアウトプットの知らせが来るまでの束の間の仮眠。
S DESIGNさんがヤマト急便の最終便に乗せ損ね、富山から走ってやってきたリアウイング(搬出前夜)
これ何してる写真か全然覚えてません。
オートサロン搬出日の早朝に全てのアウトプットを完了した瞬間のKURUMADOOさんん。「もぅ帰りたいのに止まらないパチンコしてる感覚」だったそうです。
最後の仕上げは通りすがりのビジネスマン風顧客様に思い出作りで一拭きして頂きました。
K-one様スリックタイヤ協賛本当にありがとうございましたm(__)m
奥の狭い工作室でずっと作ってきて、搬入可能時間ギリギリアウトかもだったので、誰も完成を俯瞰で見れず。
嵐の様に去っていきました。
コピックワールドアワード優勝者のナイジェルがオートサロンの為に制作班Tシャツをデザイン。
この日のためにオランダから来日してくれました。
オートサロン初めてあるある。社名も車名も申請し忘れる。
会場で配布したチラシ
明白なのは我々パイフレットなんか作ったことない事。
誰が作った事あるだろう?と思いつく次第、泣きついたら
優しく受け止めてくれましたm(__)m
Fenice以前からマルッとブレーキシステムの容量計算からローター製造まで面倒見てくれてる名古屋のデッキさんがブレーキシステムのご協賛を頂戴。
Speed Huntersが取材してくれて様子を特集してくれました↓
KEN BLOCK これからちゃんと見ます。(あの人何回も来てくれてるけど,,,ど,,どなた?とお付きのコーディネーターさんに聞いたら目の奥からマジ怒りが見えました)
KEN BLOCK いつも見ます。
オートサロン初参加あるある。「搬出時もエンジンかけてはダメ」
オートサロン後、童夢さんの助けで各部をドライカーボンに置換し、リアサスペンションの新造も終えて挑んだデルタカップ。拡幅分の車両感覚が掴めずパイロンタッチして優勝を逃しました笑
アップライトから新設計のリアサス周り。
Fenice製作チームにパイロンタッチを見届けたもらった日に一旦解散。以降つづきます。
秋に行われたONTAKE SALITA ヒルクライム動画です。